1954年12月22日、蔵前国技館で行われた昭和の巌流島決戦、力道山vs木村政彦の試合の前座ではプロレスであるにもかかわらず、対戦相手の市川登(全日本プロレス協会所属)に突如不意打ちのセメント(真剣勝負)をしかけ、数十発の張り手を見舞って昏倒させた[3]。市川は脳に重い障害が残り1967年末に死去。この突然の暴挙は、当時絶対的に逆らえない存在であった力道山からの命であり、「市川を殺せ」と食事のたびに何度も繰り返し言われていたという 芳の里淳三 - Wikipedia 出典: Wikipedia